ボクは23歳の時に大学をやめて、ディスコ業界に入りました。
きっかけは、マイケル・ジャクソンの「スリラー」です。
80年代初めに、MTVでスリラーのビデオを見て、不覚にも衝撃を受けてしまったのです。
「スゴいダンスだ~!(卒倒)」
マイケル・ジャクソン「スリラー」と出会ってディスコに就職!
実は…高校生の頃からディスコで遊んでいたボクは、「何とかダンスがうまくなれないものだろうか?」と思っていたんです。
夢はファンキーダンサーだった
ディスコのダンスフロアーで、ビンビンに踊るファンキーでカッコイイお兄さんお姉さんの姿を見るたびに、
- あんなカッコ良く踊れたら
- あんなにバッチリとリズムにのれたら
- あんなに音楽と一体化できたら
…どんなにいいだろう!と思ってました。
いつの間にか、ボクも
…と妄想を激しくするようになっていました。
しかし大学に入ってからというもの、サークルだ、コンパだ、麻雀だ、などと遊び惚けているボクは、ダンスと無縁になりつつあったんです。
ただダラダラと、何の目的もなく毎日を過ごしていました。
そんなある日、見てしまったのです!衝撃映像を!
それがマイケルジャクソンの「スリラー」でした!
スリラーに「核弾頭クラスの衝撃」を受ける
スゴイ動きだ!踊る踊る!
マイケルの超一流ダンスに圧倒されただけでなく、バックダンサーの動きも目を見張るほど素晴らしい。
それにダンス構成も、ストーリー構成も、何度見てもあきないほど、うまくできていました。
「スリラー」!まさにミュージックビデオの金字塔と言うしかない!
これがボクの闘魂に火をつけたのです。
大学など行っている場合ではないいっーー!
大学をやめ、ジャズダンス・スタジオへ入門
そしてボクは、すぐ赤坂の「ヒロ・ジャズダンス・スタジオ」に入門したんです。
新進気鋭の若手ダンサー後藤宏行さんに弟子入りしたのです。
しかし、ダンサーの練習生には、毎週のレッスン代や公演のパー券ノルマなどがありました。
それをなんとかするために、ボクは大学をやめバイトを始めました。
しかし、アルバイトが続かない
で、ヒロさん(後藤宏行さん)のアパートに居候をさせてもらい、
- そば屋の小僧
- 魚屋の配達
- ピンサロのボーイ
…など、色々なバイトを渡り歩きました。
しかし、バイトが続かなかったんです。
実は、ボクはスゴク飽きっぽい性格で、熱しやすく冷めやすかったんです。
そこで考えました。
それなら飽きずに続くんだけどぉ…。
とんとん拍子でディスコに就職
で、アルバイト・ニュースを見ていると…【ディスコのウェイターの求人】がのってたんです。
「これだ!!!」
- ディスコで働けば、うまいダンサーの踊りも見れるかも!
- ダンスの向上には一石二丁だ!こんなドンピシャのバイトはほかにない!
ボクは、その日に六本木の千葉ビル9Fにある「ペントハウス9」というディスコに面接に行きました。
で、無事採用となり働くことになったんです。
しかし、ディスコ従業員は「未成年」の集まりだった!
当時のボクは、うら若き23才。
しかし、このディスコ・マネージャーはなんと19才。
まわりの先輩ウェイターも18、19才なんてザラ。
なかには17才なんてのもいました。みんな年下です。
このディスコはヤングな未成年者の集まりでした。
ボクは1987年~1991年頃まで、六本木のディスコ業界で働いていました。 当初はダンサーになるために、大学をやめ、ディスコでアルバイトを始めたんです。 でも、そのうちダンサーになる夢はコロ~ッと忘れてしまい、正社員にな …