ボクは、六本木の「ペントハウス9」というディスコに面接に行きました。
で、無事採用となり、働くことになったんです。
ディスコに就職…イビられる
しかし、当時のボクはファッションに、まったくこだわってませんでした。
ボクはあまりにダサかった
…というか、はずかしながら難民のようなカッコをしてました。
- ボロGパン
- 貰いもののTシャツ
- ニッキュッパ(2,980円)のインチキスニーカー
六本木の住人から
…と言われてもしかたない!そんな、みすぼらしいカッコでした。
それが理由かわかりませんが、同僚ウェイターでボクをイジメる奴がいたんです。
それが「Rさん」というウェイターでした。
先輩ウエイターにイジメられる
Rさんはハーフのような顔立ちで女性客に大人気でした。
Rさんに会うためにディスコ「ペントハウス9」に通っているというお客も多く、まるでジャニーズのスターのような存在でした。
当人もそれを鼻にかけていて、天狗になっている感じがありました。
まあ、悪い人ではないと思うんですが、若さゆえカッコをつけていたのでしょう。
で、なぜかこのRさんからボクは目をつけられ、毎日イビられたのです。
ホールに立っていると「ボヤボヤしてるんじゃねえ!」みたいなことを毎度言われます。
また、何かにつけ文句をつけられ、怒鳴られました。
媚びないヤツはイビられる?
その上、Rさんは「ボクの悪口」を周りに言い触らしているようでした。
…まあ、ボクがRさんに媚びなかったから、それが気に食わなかったんでしょう。
確かにボクは誰にも媚びませんでした。特にイバッてるヤツは大嫌いだったので。
だから、それが「イジメられた理由」として大きかったんだと思います。
「難民」の逆襲が始まる
そこで、ボクは逆襲をすることにしました。
ホールではRさんに仕事をさせない位、さっさと動きました。
また当時、ディスコは路上でカード(割引券)を配っていました。
「男性3000円・女性2000円」などと記された小さなカード。
それをフロントで見せると料金が割引になるんです。
一生懸命ビラを配ったら、フロントに評価されるようになった
ボクはビラを配る時も一生懸命配りました。
ボクのカードでどんどんお客さんが店に来るようになりました。
一方、Rさんは「カード配りなんかバカらしくてやってられるか」みたいな態度だったし、そもそもカード配りをさぼってどっかに遊びに行ってたようでした。
なので、当然、集客に差がついたのです。
ボクはフロントに評価されるようになり、Rさんは目をつけられるようになりました。
まあ、そもそもRさんはその「天狗っぷり」が皆に嫌われていたようでした。
だから、これを機会に叩かれだしたとも言えます。
Rさんの恫喝を返り撃ちする
そんなある日、とうとうRさんは暴挙にでたのです。
営業中、ボクにケンカを売ってきたんです。
胸ぐらをつかまれ、キッチンに連れていかれたボク…
Rさんは「この野郎、おまえ何で言うこと聞かねえんだ!」と、罵声を浴びせてきました。
なので、ボクは言ってやったんです
Rさんはキョトンとした顔をしていました。
ふだん大人しいボクから反撃を食らうなんて、思ってもみなかったんでしょう。
Rさんは「恫喝しようと思ったら、逆に恫喝されてしまった」というドジを踏みました。
Rさんのトンコ(とんずら)
そんなことがあって、しばらくしてRさんは店に出てこなくなりました。
あまりに目にあまるRさんの勝手な振る舞いに、フロントは首を切ろうと思っていたようでした。
しかし、その前にRさんは店に来なくなりました。
でも、さすがにただではやめませんでした。
自分の派閥みたいのを作っていたRさんは、その派閥のウェイター全員とともに店に来なくなったのです。
まるで、労働組合のストライキみたいなことをやりやがったのです。(若いのに大した度胸です)
でも、店もだまっちゃいません。
Rさんサイドのウェイターを個人的に切り崩して行き、結局、店に来ないのはRさんを含む2、3人だけという結果になったんです。
このように、ボクのディスコ初デビューは同僚ウェイターとのしのぎをけずる戦いでした。
今から思えば、Rさんも大した人でした。
イケメンだし、人気もあるし、仕事もできた。
ファンが多かったのも納得です。
社長は本音では、Rさんをやめさせたくなかったんじゃないかと思います。
ボクは1987年~1991年頃まで、六本木のディスコ業界で働いていました。 当初はダンサーになるために、大学をやめ、ディスコでアルバイトを始めたんです。 でも、そのうちダンサーになる夢はコロ~ッと忘れてしまい、正社員にな …